50おばさんの「ひとり出版社」起業後のトライアンドエラー物語①
50歳という中途半端な年齢でひとり出版社「あらま出版」を起業したのは令和5年1月。この1年半の間で、三重県松阪市出身の歌手・あべ静江さんのエッセイ「人生楽しく生きなきゃ損だもん」、松阪の名物バーテンダー山下正さんの「あらまちゃん」を発行し、自費出版で句集、短歌集など4冊を制作。
先日、現在進行中の著者であるN社長に言われた。
「あらま出版は、まだまだ名が知られていない。何をしている事業なのか、売りは何なのか、あなたの想いや考えていることを発信しないと、世間には何も伝わらない。もったいないと思うな」
妙に納得した。少しずつ名前が知られてきたと勝手に思っていたが、飽くまでもそれは身内、知り合いレベル。
あらま出版の代表として、何をしていきたいのか、何を考え行動しているのかを世間に知ってもらうため、そして何より自分を戒めるため、きちんとブログを更新することにした。
大学卒業してから30年の間、気付けばずっと編集系の仕事をしてきた。法律専門書に始まり競艇新聞、結婚して三重県に移り住んだ後はフリーペーパー、地域新聞紙。
40を過ぎたあたりから、段々と自分が「組織」になじめないことに気付き始める。知識や経験を積めば積むほど、出版というものに対しての、会社の上層部との考え方のズレ、本づくりの進め方のズレが生まれた。
もう少し、著者に寄り添いたいな。
自費出版だけが出版じゃないのにな。
もっと低予算でも作れる方法があるのにな。
上から可愛がられるタイプの社員ではなく、「組織」というものに辟易し腐っていった。そう、腐っただけ。前向きに打破していくことを考えるほど自分は賢くなかったのだ。
これ以上、腐る日々を過ごすことが耐えられず、15年勤めた職場を退職した。
人生に悔いを残さないため50歳で起業
昭和48年生まれの自分にとって「独立」「起業」は、決して親しみのある言葉ではなかった。
秀でた才能を持った人でしかできないもの。
財力のあるものしかできないもの。
一度も起業しようなど思ったことはなかった。
だが、令和の時代。確実に世の中は変化していた。起業することは、特別なことではなくなっていたのだ。
40代後半にもなると、同級生の死、友人の家族の死、人生には必ず終わりがあることを痛感させられる。
人生あと20年、30年か。
いやまてよ、50歳ならばまだ間に合うんじゃないか。
何かするには、今を逃したらもう無理なんじゃないか。
幸運なことに、「ひとり出版社」というワードをあちこちで見かけるようになっていた。
やっぱり本づくりがしたい。
人生に悔いを残したくない。
そうして、50歳の誕生日に開業届を税務署に提出した。
おばさんのトライアンドエラー
ひとり出版社「あらま出版」でやりたいことはただ一つ。
身近な「あの人」「この人」の本をもっと作ること。
大手出版社が発行する著名人の「本」だけが「本」ではない。
顔や名前を知っている「あの人」の人生、想い、理念を皆に知ってもらいたい。
そして、本は誰にでも作ることができることを知ってもらい、本づくりの楽しさを知ってもらいたい。
そんな思いからコンセプトは「身近でしかない!出版社 地方からユニークな一冊を」にした。
1年半で4冊を発行することはできたが、ビジネスとしてはまだまだ、まだまだこれからだ。
「あらま出版」を必ず軌道に乗せ、必ず成功させたい。
このブログでは、そのトライアンドエラーを中心に綴っていこうと思う。
「50代のおばさんでも、起業して、成功して充実した人生を送れる!」という結末になれるよう、奮闘していきたい。